EMON PHOTO GALLERY Exhibition Gallery Space Artist Contac&MAP News EMON,Inc
   



 

130年前から現在に至るまで、吉原写真館に保存されてきた肖像写真の数々。その膨大な数の写真は、
美術家・吉原悠博のディレクションによって、永い時を経て現代に蘇ります。
今展では、明治から昭和の歴史を振り返る機会になると同時に、
写真が人の手によって丁寧に創り出される写真本来の豊かさをお伝えします。

 
 
 

 

『SPIRAL LIFE・吉原家の130年』(写真・映像作品展)
2007年4月  2日(月) 〜 4月14日(土)
2007年5月28日(月) 〜 6 月 9日(土)
入場料:各500円

 

美術家・吉原悠博
1960年新潟県新発田市生。東京芸術大学油絵科卒。写真・映像によるインスタレーション作品を数多く発表し、近年、パブリックアートとしてホテル、公共施設での作品設置、アートディレクションを担当している。

プリンター・池添数美
昭和41年、中村現像所に入社。土門拳や木村伊兵衛などのフィルム現像などにも携わる。京浜現像所を経て、昭和52年独立し、現在横浜に移転し現像・プリントを行っている。

 

「SPIRAL LIFE・吉原家の130年」は、2007年4月1日発売号、写真誌「風の旅人」で特集されます。今展の企画は、「風の旅人」のご協力によって実現の運びとなりました。

 

NEWS
SPIRAL LIFE映像作品をSpaceKobo&Tomoにて上映決定。
SpaceKobo&Tomo
東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビルB1F
(地下鉄有楽町線銀座一丁目駅10番出口徒歩1分)
担当:荒谷 tel/fax:03-3538-3250

吉原写真館WEB SITE www.y-ps.com

 

donation by Ikkan Sanada


 

 

 明治3年 (1870年) から続く肖像写真専門店「吉原写真館」(新潟県新発田市)。
 外科医だった吉原秀齋に始まった吉原家の肖像写真は、明治・大正・昭和の激動の時代を経て、現在、6代目・悠博氏に受け継がれている。
 当時の写真は、銀塩乳剤をガラス板に塗布した感光材「写真乾板」が使われていた。20世紀半ばには市場からほぼ姿を消して現在のフィルムや記憶媒体に代わっていく中、最近になって吉原家の蔵から膨大な数の「乾板」が発見されたのである。
 先代達が家族の記録や身近な人々を写し、時代と共に写真術の礎になってきたものが封じ込められた写真達。
 美術家・吉原悠博によって、130年の歴史が刻まれた乾板のありのままを再生して発表するためのプロジェクトが立ち上げられ、モノクロプリントに定評がある池添数美氏の協力を得る事によって、この広尾の会場に写真・映像作品として蘇ることとなった。

 

 写真の登場以来、絵画に代わる肖像表現が時代と共に移行して、写真家はその技術革新と響き合うように技と独自性を追求して写真文化を開花させていく。
 和紙を透かして拡散するような柔らかな光や、斜光を大胆に使った荒々しい強さを求めていくことなど、J ・フェルメールやレンブラントなどの光と影を捉えた近代画家の表現手法を探り、一枚の写真を撮るために独自の工夫を凝らしていたことが伝わってくる。
 綿密な構図と巧みな光、そしてモノクローム独特の質感表現に支えられて、静謐ながら写実的な迫真性を感じさせている。当時は写真家が、リアリズムにこだわり、1枚のモノクロ写真に命を吹き込もうと執念を燃やすような時代でもあったのだろう。
 今展では、写真専門家によって家族が記録されたという事実にスポットを当てている。専門家であることを飛び越え、語り合うように撮影された数々の作品。そこには家族への愛情を滲ませながら生そのものへの尊厳さえも、そのままに、あるがままに、静かにフレームに捉えられている。
 記録を越えた肖像写真。1枚の撮影を行うたびに丁寧に定着させられたそれぞれの乾板。
 それらは、当時の写真家が追い求めた技がどれほど密度の濃いものだったかを饒舌に語りかけている。


エモン・フォトギャラリー 小松整司

 

 

 

風の旅人 編集長 佐伯剛氏
 人生というのは、どの局面も、その瞬間だからこその様々な機微に満ちている。すなわち、すべての一瞬が、始まりであり、終わりである。
 一度限りの厳粛さがあるからこそ、どの一瞬にも、美が存在している。そして、優れた写真は、その一度限りの厳粛さと、そこに醸し出される美を、明確に伝えることができる。
 今号の特集において、6代にわたる同一家族の歴史を写真によって構成した。一人一人の人生の二度と繰り返されない厳粛な一瞬と、変化の軌跡と、それぞれの人間関係を写真を通して眺めていると、言うに言われぬ気持ちになる。
 現代社会に広く浸透している認識では、赤ん坊や子供は大人になっていく過程とみなされ、老年を、完成したものが衰えていく過程とみなされる傾向があるが、そうではなく、子供も成人も老人も、二度と繰り返すことのない厳粛な一瞬のなかで、それじたいで唯一のものとして完成していることが、どの写真からも伝わってくる。また、一人一人の意志や意識や願望を超えて前世代から受け継いでいるものがあり、その上に、その人ならではのものが積み重ねられていることも目に見えてわかる。
 一つの世代が生と死を一巡し、次の世代が前の世代の残したものを引き継ぎながら新しい一巡を始めるが、同じ場所からではなく、少し位相の異なるところから新たに始まっていく。人間の生命は、そのようにスパイラル展開をしているように思われる。
 生きるということは、自分と世界のあいだの微妙なバランスのなかで成立する精密な運動であるから、どの局面も不完全ではあり得ない。
 人は誰でも、人生における各局面を生きる時、それ以前の経験を引き継ぎながら、新たな出会いを通して、その時ごとの「生」のバランスを完成させて、一巡りをする。生の運動が極めて精巧であるがゆえに、「生」を全うしているものからは、同時に、「死」の気配も漂っている。そして、「死」の気配が濃厚なものほど、「生」の気配も濃厚になる。「生」あることのかけがえのなさは、宿命的な「死」と深くつながっている。
 老いも若いも、時代や環境の違いも関係なく、どんな生物でも必死に「生」を一巡りし、その死と生の関係を次なるものに受け継いでいく。そのように繰り返される営みこそが私たちの厳粛な命であることを、このたびの写真展は、再認識させる機会となるに違いない。