
山口小夜子×横須賀功光 コラボ展
EMON Tokyo 2019.08.30fri → 11.02sat
東京都港区南麻布5-11-12 B1F Open 11:00-19:00 sat-18:00 Closed sun,holidays
Togo Bldg. B1, 5-11-12 Minami-azabu, Minato-ku, Tokyo JAPAN
この度エモン・フォトギャラリーは、『山口小夜子×横須賀功光コラボ展』と題して展覧会を開催する運びとなりました。本展は、言わずと知れた日本を代表するモデル・山口小夜子と、その世界観を支えて名コンビを誇った写真家・横須賀功光の共同作品を集めて展覧するものです。
山口小夜子は横浜生まれ。23才でアジア人で初めてパリコレのランウェイに立って脚光を浴び、米雑誌ニューズウィークの「世界の6人のトップモデル」に選ばれた世界的ファッションモデル。73年に資生堂との専属契約を交わし、それがきっかけとなって小夜子と横須賀は出会います。資生堂のシンボルとしてセルジュ・ルタンスらと共に広告史に残る名作品を多数発表。アドバタイジングを起点としながらその枠を越え、ファッションフォト、シリアスフォトを先駆していきました。
服飾を様々な角度から再解釈したウェアリスト・山口小夜子。そしてその表現には、写真家・横須賀功光は欠くことができない存在だったのです。 小夜子は同じ横浜で生まれ育った横須賀について、このような言葉を残しています。『横須賀さんはつねに空間に漂う「気配」を求めていたように思います。山口小夜子という存在がふっと消えて、光と影のなかで余韻だけが残るような瞬間、その時にシャッターを切る音がしました。被写体の裏側にあるものを、ずっと追っていたのだろうと思います。』(「光と鬼・横須賀功光の写真魔術」より)
本展は、『小夜子』(1984)、『月 小夜子・山海塾』(1986年)、また『ヴォーグ』イタリア版(1979)、『流行通信』(1981)に掲載されたフォトセッション他、ソラリゼーションビンテージプリントを交えて展覧。また小夜子の身体を石膏で写し取った横須賀ディレクションによる彫刻作品も展示致します。 ひとりの写真家が見つめ続けた小夜子というミューズ。そして生涯をかけて心眼を冷徹に磨き、美の探求に挑んだ山口小夜子と横須賀巧光の軌跡の一端をご覧いただきます。
協力:株式会社オフィスマイティー / Design Office ABC


1986年 ポートレート作品 ゼラチンシルバープリント
トルソー1984年 小夜子の身体を石膏で型取り、 特殊なマチエールを施した 横須賀唯一ディレクション彫刻作品。
制作:現代工房・安藤隆夫
山口 小夜子 Sayoko Yamaguchi 横浜生まれ。
日本のファッションモデル、ファッシ ョンデザイナー、ウェアリスト。 パリコレクションに出演するなど世界的に活躍 し、1977年にはアメリカのニューズウィーク誌の 「世界の6人のトップモデル」の1人に選出。舞台、 映画などで数々の作品を残した後、晩年は「ウェ アリスト(着る人)」と名乗る。ファッションだけで なく、ダンス/舞、音楽、映像、文学など諸芸術が 交差する表現を展開した。2007年8月14日に急 性肺炎のため死去。 2015年、東京都現代美術館にて「山口小夜子 未 来を着る人」が開催され話題を呼んだ。
横須賀功光 Noriaki Yokosuka(1937-2003)
横 浜 生 ま れ 、日 大 芸 術 学 部 写 真 学 卒 。学 生 時 代 に資生堂の仕事を手掛けて頭角を現し、卒業後 はフリーとして活躍。資生堂のポスターは次々と 反響を呼んで瞬く間に広告写真の金字塔とな り、その後も飛ぶ鳥を落とす勢いでファッション フォトを先駆した。「俺がはじめて嫉妬した写真 家だった」と当時電通にいた荒木経惟が言うよ うに誰も真似ができない写真を撮る早熟の天才 だった。70年後半以降の山口小夜子と山海塾の コラボ作品、また三宅一生のブランドに携わっ た作品群は伝説となり、ドイツ、イタリアン、フレ ンチヴォーグの最初の日本人カメラマンとして、 活躍の場を世界に拡げる。